死ねる自由




自らの命を絶つことは、絶対にいけないことで、悪だという理解をしています。
ただ、それを妄想することは、悪にまでならないのだろうなとも思っています。

僕の記憶のある限り、今の生を閉じたいと考えたことが4度あります。
一度は2002歳の11月。
もう一度は2018年の8月。
その前にもう一度ありましたが、日は覚えていません。
そして最後に今。
2002年のころは大人になりきれていない中学生のような心情から、その思いに至ったと、後日分かりました。

その後も、大人になれていないオッサンの戯れ言のような思いだと思います。
責任感のある、ましてや人の親となった身でありながら、たびたび湧き上がる思いを持ってしまうのは、ガキとしかいえないのだと思います。

どんな理由があれ、親よりも先に消えてしまうこと、身内となった人たちを放置してしまうことは許されないことと思いますし、何よりもそれを実行する勇気は相当なものだと思います。

過去の何度か、この思いに駆られても実行できずにいたのは、何よりも勇気の無さからでした。
途中まで思いの中に足を踏み入れても、簡単に戻ってこられたのは、気の小ささと思いを遂げるほどの気合いも無かったからでした。

良くも悪くも、思いを完遂する能力があれば、簡単に消えてしまっていたと思いますし、そもそもこんな思いに至らないとも思います。

ただ直近では、間違いなく近親者との関係がうまくいかず、それを原因にして消えてしまう思いに至っています。
胸を押されるようで、呼吸が制限されているような息苦しさ。
視界の狭さ。
これからやってくるであろう問い詰めの時間。

僕はそこまで悪いことをしたのだろうか。
悪者だと言うことを認めさせたいのだろうか。
認めたら、それをどうやって償ったら良いのか。

そういう思いを押しつけてくる相手が身近にいます。

もともと僕は意志が弱く、すぐ何かに靡いてしまうところが多分にあります。
近い存在に対して簡単にイラついてしまうし、その感情を露わにしてぶつけてしまいます。
自己理解をして反省をしなければと本を読み、実践しようとしたことはあっても、ケースは様々で、全ての場合でコントロールができることもなく。
怒りの感情は抑えられても、その後にやってくる嫌悪感は長く続きます。

きっと今晩。
明日、週末。
妻は僕を問い詰めます。

僕は悪いことをしたと言わせられます。
本当にそうなのかという疑問を持ったまま。

用があって初めてではない友人に会いました。
彼からは仕事の技術的なこと、考え方をならい、時には愚痴を聞いてもらっています。
妻の知らない友人で、ネット上の共通の趣味から意気投合をしています。

妻は理解をしなくても、納得をしようとしてくれると思います。

ただ、僕の言葉が足りず、説明が足りず、配慮が足りず。
今じゃなくても良かったのだし、時間を掛けて理解をしてもらえる説明が必要でした。
日々、僕が語ろうとしても話の腰を折り、自分の話を始めてしまう妻に。
根気強く伝えなければなりませんでした。

そういう相手を選んだのも僕ですし、それも責任だと思います。
ただ、自分で考えていても、それよりも逃げてしまいたい思いが強く大きくなってしまうのです。