朝立ちの存在感

猛烈な朝立ちで目が覚めます。
用も無いのに存在感を示してくるのは邪魔なようで無くなれば寂しいもの。
そういう自覚はありますが、やはり用も無いときには大人しくしていて欲しいと思います。

仰向けからうつ伏せへと体勢を変えていく中、布団にこすりつけるようにして下半身に圧力を感じると、それはそれで気持ちが良く、圧迫されたり締め付けられるというのは気持ちが良くなるようにできているのだなと寝ぼけながらに思いました。

もう記憶の片隅にしか残っていない感触を思い出します。
射し込んだとき感じる満足感や充足感、肉体的な感触とは他に満たされていく精神的なものがあったように思います。

思い出すのは必ずしも妻ではなく、僕の人生で数少ないながらも、その思いを覚えさせ叶えてくれた時のこと。
滑り込むような感触と、今となってはどこにそれを感じていたのか分からないほどの快感と。
いっぱいに埋まっていく心の中と。

古い記憶を呼び起こすだけで、果たして本当にそうだったのかという確証も無いのに、そうだったはずと懐かしく思います。
寝起きから思い出すようなことでもないのに、寝起きでしか思い出すキッカケも無かったのかもしれません。
排泄するという役割だけを果たし、これからもその役割だけを担っていくのだろうと思う日々。
それはそれで幸せなことなのかもしれません。
失っているものを懐かしんでいるだけかもしれません。

忘れてしまっている感触に精神的なところまで満たされていたと思いたいだけな気もします。
ならばと、それが確認できる場所があるわけでもなく。
ただそうだったはずだと思っています。

朝から存在感を示し、いつもより硬く大きくなっているのを放置して起き上がり、振動させながらトイレに座ると徐々に静かにおとなしくなっていきます。
出すことができれば何でも良いのかコイツは。と、自分の体の一部ながら制御は別になっていることを感じ。
朝を迎えました。

ブログが気に入ったらご登録ください

【ブログランキングに参加してます】
こちらの応援をお願いします。
にほんブログ村 大人の生活ブログ 夫婦生活(性生活)へ
ブログランキング
ブログランキングならblogram

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Top