「一人で気楽でしょう」




悪いと思いながらも言ってしまうこともあるし、やってしまうこともあるし、完璧な人間などいないと言いながらも、完璧さを求めるのが人だと思うようになりました。
良いことをすれば当たり前のように接されるし、悪いことをすれば自分をは無関係でも親の首でも取ったかのように騒がれます。
当事者からすれば、どっちでも身の回りに大きな変化はなく、そんなことに精神を乱しているほど余裕のある生活を送ってもいません。
ヒマなのだろう。余裕があるのだろう。
そう思うしかないことも多々あります。
一人でいる時間が長くなり、嫌でも考える時間は増えました。
全てが仕事のことや前向きなことばかりではありません。
たいていは後ろ向きなことから始まり、それを打ち消すように何かに没頭します。
仕事に集中ができるというのはそういうことだと思います。
先の生活の安定のため、食べることを満足にしていくため。
その不安を打ち消すように仕事に打ち込みます。
一人でいる静かな家の中。
2日や3日ならばそれも楽しめます。
家族で暮らすための空間に一人。
いつか戻るはずで、戻るつもりでいる空間に、いつまでも一人というのは精神的に良いことではありません。
よく言われる言葉の一つに「一人で気楽でしょう」と。
気楽なこともあります。
自由です。
ただし僕が求めていた自由ではありません。
僕は広い家に一人で住みたいわけではないということを理解していない人や、一人になれない人が掛けてくる言葉だと思うようになりました。
仲の良い友人や知人でもごく僅かに、それを理解してくれる人が頻繁に声を掛け、昼食に連れ出し、適当なことばかりを言ってきます。
あまりのくだらなさに一人の時間を忘れることができます。
きっと家族に捨てられた中年男というのはこういう状態なのだろうと思ったこともありました。
運良く僕はまだ捨てられていませんが、代わりに生活を捨てることもできず、予定のない日が戻るのを待たなければなりません。
アテもなく期待して待つのは辛いもので。
やはりそれを分かってくれない人が「気楽だ」と言います。
何かに没頭しようと、ふと手を出したことが悪いことだと思われると非難され、ただでさえ落ちていた気持ちをさらに下へと叩きつけられます。
何か迷惑を掛けたわけでもないのに。
なぜそうしたかなどは興味がなく、ただ「気楽そうに見える・それは気に入らない」という自分の都合ばかりが降り掛かります。