僕が父親になって育児期間に感じる疎外感



家族が増えてから、僕はずっと愚痴ってばかりです。
妻は母親になり、新しく増えた家族のために体力と時間と心を遣います。
それを見ながら僕は父親になろうとして、追いついていかない心を何とか親へ変えていこうと頭で考えています。
出産から退院まで、その間の数日間ですが妻は病院で育児について少しだけ学んできました。
それを見よう見まねで、僕ができるようにならなければと思っていました。
数日が過ぎたころから、違和感を感じました。
ブログでも何度か愚痴を書いたかもしれません。
僕がなにかをしようとすると、妻は「やるから大丈夫」と言って断ります。
さらに義母も手伝いに来てくれました。
義母にとって孫です。
かわいく見えると言います。
第一声はそれを表現するには有り余るほどの声を挙げて喜んでいました。
何十年振りの赤ちゃんで忘れてしまっていることもあるとはいえ、徐々に思い出しながらあやしていきます。
妻はそれを見ながら、まだ身についていない経験を補っていきます。
当然、僕よりも義母に声が掛かります。
まったく未経験で頼りにならない僕よりも、義母の方が確実です。
しかも妻にとっては実の母。
なんでも言いやすいです。
これが僕の母だったら状況は違うと思いますが。
僕に任せられた命名の役割は、どんなに考えを振り絞っても各方面からダメ出しが入ります。
それを見かねた妻は、僕が最初に出した案でまとめてくれました。
僕の母も義母も納得をしてくれたようです。
でも義母はたまに名前を間違えます。
親戚と電話をしながら「言いづらい」だとか「違う名前に聞こえる」だとか言っています。
一番身近にいる人が、今からそんなことを言っていては先々触れていく人たちになんて思われるのか、僕は不安になります。
そんな思いで付いた名前ですが、僕が考えた名前と言うことで『命名』と書かれた紙を買ってきました。
ホームセンターには売っていなくて、文房具屋を回って太めの筆ペンと一緒に買って来ました。
この役目はぜひ義母にお願いしたいと伝えました。
なんだか嫌がっているような照れているような返事をされながら頷いてもらいました。
新しい家族の命名の時間。
義母が名前を書くのを僕ら夫婦が見て、それを子供の上に掲げる。
そんな場面を想像していました。
ところが、僕が仕事場にいる間にサッと名前は書かれ、簡単に壁に貼られていました。
知らないうちに。
せめて一声掛けて欲しいというのが、そのときの思いでした。
価値観は人それぞれ。
今回はそうだったと思い直して、これで名前の価値が変わるわけでもナシ。
何てことの無いことだと考えました。
今度は、その紙の前で記念写真を撮ろうと思いました。
義母にそのことを伝えると、妻もそう思っていたと賛同してくれました。
そのときは義母も普段着だったので、おめかしをしてなどと本気なのか冗談なのか分からない返事をしていました。
ならば今はそのタイミングではないと思ったので、義母が帰る前までに撮れればと思っていました。
ところがついさっき。
妻と義母が写真を撮っていました。
風呂上がりのパジャマ姿の義母が手には赤ちゃんを抱えて。
僕には一声掛けることもなく。
その後、泣き止まなくなった赤ちゃんを眺めながら二人で相談し、テレビを見ていた僕には何の言葉も無く音楽を流し始め。
僕は音楽の邪魔をしてはいけないとテレビを消したのですが、テレビを見ててイイと言います。
僕よりも赤ちゃんの方が優先しなければならないのではないか?と思うのです。
ここは僕の借りている家。
我が家のように振る舞ってもらって構わないけれど、僕は余所者ではない。
ましてや家族。
そう思っているのだけれど、いつの間にか余計な一人になっているようです。
毎日毎日、こんな疎外感を抱えながら生活をしています。
ここのところ疲労しているような表情らしく、妻は居場所の狭くなったことで疲れているのではないかと僕を見ていますが、決してそうでは無いです。
この家に居場所を感じられないのです。
子育てのために知恵を付けて時間を作ろうと思っていたし、そうするべきだと家族からも仕事先からも言われ続けて来ました。
僕もそうしたいと思ってきました。
やらせて欲しいと大きな声で言っていないのが良くなかったのでしょうか。
家族が増えて数週間経ちました。
まだ心の底からかわいいと思えないでいます。

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